絵本の読み聞かせをしてみよう!よみっこ ブログ




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わたしのゆたんぽ(絵本)
 郷愁を感じます。

 表紙の「ブリキのゆたんぽ」「おかっぱ頭の女の子」「敷布団」もそうなのですが、

 扉の「着物の母親」「上にやかんを乗せることができる縦長筒型の石油ストーブ」「金色のアルマイトのやかん」「木製四本脚の丸椅子」もそうです。

 それからそれから、

 表紙の「海老茶色やえんじ色のような色調」……

 それでこの後どんな物語で楽しませてくれるのだろう、なんてことを思いながらページをめくっていくと……

 いやいや、ビックリしました。

 みごとに裏切られました!

 ノスタルジーはどこへやら……

「わたしのゆたんぽ」は、宇宙の果てまで飛んで行ってしまうのですから。

 でも……

 不思議なことに本文に入る前に思っていた通りに、
 ほんわかとなって気持ちよくなってしまうのです。

 ……なんだか湯たんぽに足をつけているような気分……かな……?!

| comments(0) | trackbacks(0) | 16:04 | chaury |

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山に肉をとりに行く(写真絵本)
 猟師の一年を追いかけた写真絵本。

 作者の田口茂男さんは、東京生まれだけれども岐阜県群上市に移り住んでいる写真家。
 この地で猟師に出会い弟子になり、自らも狩猟をおこなっている。
 狩猟を本格的に始めて、すでに十数年だという。

 本書の文章は、田口さんと、おそらく田口さんの師匠である二人の猟師との会話が中心になっている。
 この会話は落ち着いた部屋の中でのインタビューのような形ではなく、狩猟も含めてさまざまな作業をしている最中のものだ。
 だから、臨場感がある。
 この臨場感によって写真と文章に、さらなる現実味が与えられる。

 猟銃によって仕留められたシカが白い雪の上で喉元から血を流して倒れている姿。
 わずかだけれども掲載されている獣の解体作業。
 そんな世界をまったく意識したことのない人たちにも、身近なところで生業として狩猟がおこなわれているということを、リアルに感じさせてくれる。
 そして食べること生きることといった根本的なことを考えさせられることになる。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 この写真絵本を眺め終えた後に思い浮かべた絵本です。

なめとこ山の熊
イオマンテ―めぐるいのちの贈り物

 ついでに、絵本ではありませんが昨年興味が向いて読んだ本も紹介しておきます。

牛を屠る
ぼくは猟師になった

| comments(0) | trackbacks(0) | 18:37 | chaury |

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おかしなゆき ふしぎなこおり(写真絵本)
 雪と氷をとらえた写真絵本。

 雪と氷の美しさ、神秘さ、おかしさ、不思議さを、めいっぱい楽しめます。

 物語ではないのにワクワクドキドキの連続です。

 最初は思うのです……

 家の中でぬくぬくしながら眺めているのがいいなと。

 でもいつのまにか、
 寒さを感じながら実際に見てみたいと思うようになるのも、
 おかしくて不思議なことです。

| comments(0) | trackbacks(0) | 20:55 | chaury |

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もりのおくのおちゃかいへ(絵本)
 深い森の中では……何かが起こりそうな気がします。

 でもこの絵本の中の森は、緑あふれるうっそうとした森じゃありません。

 寒い寒い冬……

 すべての葉を落とした樹木が立ち並び、降り積もった雪で真っ白になった森の奥。

 雪を踏む音しか聞こえない静かな森。

 ケーキの箱を大切そうに抱えて歩いていくのは、
 女の子の「キッコちゃん」。

 何か良くないことが起こりそうな予感……

 でも、とてもとても気持ちが温かくなる内容です。

 すべてが見所です!
 もう、素晴らしいの一言です。説明の必要はありません。

 それでも注目のシーンを2つだけ……

 円く並べられたいくつものショートケーキを俯瞰で描いた見開き。

 ……「よみっこ」の時、ほんの少しだけ間をおいて、このページを開くのが楽しみです。

 もう一つは、

もりのなか」へのオマージュだと思われる行進のシーン。

 ……もしかしたら作者の「みやこし あきこ」さんは、
「もりのなか」を現代版として甦らそうとしたのかもしれない……
 などということを思ってしまいました。

| comments(0) | trackbacks(0) | 20:43 | chaury |

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トラのじゅうたんになりたかったトラ(絵本)
 この絵本は……

「虎の絨毯になりたかった虎」の話です!

 虎の絨毯というのは、お金持ちの大きな家に敷いてあるような、頭のついている毛皮の「じゅうたん」のことです。

 でも登場する「トラ」は、死んで毛皮になりたかったわけではありません。

 トラは、王様の家族が、宮殿の中の居心地のよさそうな広い部屋で、楽しそうに豪華な食事をしているのを見て、仲間に入りたいと思っただけなのです。
 そして、その部屋の中に敷かれていたのが、虎の絨毯でした……

 ……とんでもない虎です!

 虎として失格です。
 生きるために狩猟をしないで、宮殿の中で絨毯になろうとするなんて。

 ……でも、オープニングに説明があるのです。

 この「トラ」は、すっかり年をとって、獲物をめったに獲ることができなくなってしまったと。
 そのために体は、骨と皮ばかりになるほどに、やせてしまったと。

 ……ここで「トラ」の絵に注目です……

 大自然の中の動物と、動物園の中の動物を見比べて「違うな」と思うところがあります。
 下半身の筋肉の付き方です。

 一番目立つのが、お尻の大きさです。

 大自然の中の動物の尻は……プリプリしています。

 肉食動物も草食動物も同じようにプリプリです!

 けれども、動物園の動物の尻にはプリプリの迫力がありません。
 生きていくために狩猟をすることのない尻です!
 自分の命を守るために必死で逃げることのない尻です!

 余談ですが……
 人間も年老いて筋肉が落ちてくると、この尻と同じようになります。

 ところで……
 登場する「トラ」の尻は、みごとにやせ細っています!

 この尻に感動……拍手……

 そしてこの尻の説得力によって、
「虎の絨毯になりたかった虎」に納得し、
 私は物語の中へ引き込まれてしまったのでした……

| comments(0) | trackbacks(0) | 12:10 | chaury |

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老人ホームのおはなし会(13年1月)
1.トラのじゅうたんになりたかったトラ
2.どんぶらどんぶら七福神
3.ぼうし とったら
4.おもちのすきなヘビのおふじ

<☆chaury担当>

 新年になって初めての老人ホームでのおはなし会。

 いつでも必ず懐メロの歌は唄うのだけれども、いつもと同じ歌でも……

「なんだか新春の感じがしますね」

 とか、

「気持ちが新たになりますよ」

 とか、

「今の歌で絶対に雪が溶けましたよね」

 とか言っていると……

 なんだか本当に新しい年を祝っているような歌に聞こえてくる。

 でも、そう思えるのは……

 集まってくれたみなさんが、ちゃんと、にこやかにリアクションをしてくれるからだ。

 今日も楽しませてもらいました。

 ありがとうございます!



| comments(0) | trackbacks(0) | 19:13 | chaury |

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うさこちゃんのだいすきなおばあちゃん(絵本)
「うさこちゃん」の大好きな「おばあちゃん」が亡くなる話。

 ある朝、ベットの中で静かに息をひきとった「おばあちゃん」。

 悲しむ「うさこちゃん」。
 けれども「うさこちゃん」は、悲しんでいただけではありませんでした。

 おそらく……

 初めて死に接したであろう「うさこちゃん」は、「おばあちゃん」の死によって起こる出来事を見つめることになります。

 いつもは見ることのなかった周囲の人が流す涙。
 棺の中に横たわる「おばあちゃん」。
 木のふたで閉じられた棺。
 土の中に埋められる「おばあちゃん」。
 埋め戻した土の上に置かれた墓石。

 感傷的にならずに……事実だけが書かれています。

 小さい子どもに「死」や「命」について説明するのは難しいことです。
 だって、大人だって言葉にすることは難しいことなのですから。
 人それぞれの捉え方がありますし、その理解は個人的な感覚だったりすることもあります。

 ですからディック ブルーナさんは、子どもたちに「死」や「命」について説明するのではなく、「うさこちゃん」を通して身近な人が亡くなるということを疑似体験してもらおうと思ったのかもしれません。

 だから、はっきりとした言葉での答えは必要ないのです。

 ただラストシーンで、「おばあちゃん」のお葬式が終わってしばらくしてからの「うさこちゃん」の気持ちが少しだけ語られています。
 これだけで十分です。

| comments(0) | trackbacks(0) | 15:04 | chaury |

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くらげのりょかん(絵本)
 なんだかツボにはまってしまいました。

 絵本だからといって……
 子ども向けの話だからと言って……
 ただなんとなく奇想天外らしきことを、つなぎ合わせただけのようなものに出くわした時は、がっかりします。
 こんな時は、奇想天外らしきことが、少しも奇想天外ではなく意外性に欠けていることが多々あります。

 それじゃ、そうではない楽しい絵本はどういうものかというと……

 ……説明できません!

 なぜならそれは、奇想天外のことだけではなく「好み」の問題も大きいからです。

 それで「くらげのりょかん」なのですが……

 表紙を見た時は、「私の好みじゃないかな……?」などと言う感じだったのですが、
 テンポのいい漫才を見ているような感じで、休むことなく繰り出される「ギャグ」(奇想天外)に、ついつい吹き出してしまいました。

 うまく説明はできませんが……
「くらげのりょかん」は、ただなんとなく奇想天外なことを、つなぎ合せているだけではないことは確かです。

ほげちゃん」の作者でもある「やぎ たみこ」ワールドを、じっくりとお楽しみください。

| comments(0) | trackbacks(0) | 14:35 | chaury |

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イオマンテ―めぐるいのちの贈り物 (絵本)
 敬意を払うことから始まる。
 どんな時でも、そうありたいと思う。

 向かい合う人に対して、
 すべての生き物に対して、
 地球上のあらゆるものに対して、
 そして「死」に対して……

「イオマンテ」とは、アイヌ民族の「クマ送りの儀式」のこと。

 表面的な事実だけで説明すると、「送る」というのは「殺す」ということになる。
 しかし「送る」という言葉には、クマと死に対するアイヌ民族の敬う気持ちが込められているはずだ。
 そして、この敬う気持ちが「イオマンテ」という儀式を生んだのだと思う。

 だから儀式の一つ一つが美しい!

「美しい」というところにまで到達しなければ「殺す」ことは「送る」ことにならないのではないだろうか。
 形式や段取りだけではなく、計り知れない敬う気持ちが伴うことによって、はじめて美しさが生まれる。
 この美しさがなければ、「イオマンテ」という儀式は成立しないのではないかと思う。

 それでも……

 送られるクマの気持ちは分かりようがなく、人の都合で勝手に送られることに変わることはない。

 けれども……

 敬意を払うことによって、自然の秩序が保たれることになる。
 そうすることは、いかに命が尊いものであるのかということと、死が自然の秩序の中に組み込まれているものだということを、あらためて自覚することになるはずなのだから。

 ということは……

「イオマンテ」という儀式は、クマを送るためだけでなく、命の尊さと自然の秩序を再認識するための儀式でもあるのかもしれない。

| comments(0) | trackbacks(0) | 13:57 | chaury |

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ぼうし とったら(絵本)
 かぶっている帽子をとったら……

 どんな髪型をしているのか?

 何が出てくるのか?

 どんなに変わってしまうのか?

 ……なんていうような楽しい絵本。

 帽子の部分が上に開いて、帽子をとった状態になる、しかけ絵本。

 こんな絵本は、開く楽しさも大きいです。

 おはなし会の時には、一人ずつ開いてもらうのもいいです!


 余談ですが……

 帽子をとったら、つるつるのピカピカ頭が出てくるところがあります。

 児童館での「よみっこ」の時、
 
 私は思わず……「この頭、かっこいいね!?」と言っていました。

 子どもたちも「かっこいい!」と言っていましたよ。

| comments(0) | trackbacks(0) | 10:04 | chaury |

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